本の感想:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~

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最近、よく著者の山口周さんについて目にすることがあるので、気になってこちらの本を読んでみた。
結論から言うと、思ってたより深い内容でとても良い内容だった。

僕らが「顧客体験」を追い求めている中でのヒントをもらえた気がしたという点でも、とても良かった。

また、「顧客体験」のみならず、経営の中でのアート(もしくは、クリエイティブな経験)の役割について考えるとこがあったから、この本の中で述べられている「サイエンスを突き詰めても同質化になってしまう」というのはまさにだなと思った。

あとは、アートの中にも、センスだけではなく、情熱ややり続ける熱意みたいなのも含めて、全てがロジックで前もって組み立てられるものではない(だがしかし、後から分解は可能かもしれない)という視点が社会にもっと広まればいいなと思った。

大事だと思った部分

  • 現代は、マズローの欲求段階における「自己実現欲求」の市場である
    • つまり、機能やスペックといった機能的な欲求を満たすだけではだめである。
    • このあたりに、感情や心理的な価値を重視するCX(顧客体験)の考え方は説明しやすくなる。
  • 「サイエンス」でロジックの組み立てによって作ることは、知が急激に広まることによって、かなり広まってきた。
    • つまり、ロジックでできることは、他の人(会社)もすぐに追いついてくる。
    • その時に、機能ではない部分での差別化が必要である。
    • 世界観とストーリーは「ガワ」だけのコピーは可能だが、中身を伴ったコピーはできない。
  • この本に置いて述べられている「アート」は、広告業界的には「クリエイティブ(もしくは、クリエイティブジャンプ)に近い
    • 正論で進めていっても、なんか面白くないよね、というのは広告業界的にはあるある
    • これと同じことが経営分野でも起きているとしたら、チャンス
    • 広告業界で、クリエイティブなこと(=クリエイティブをつくることではない)に携わっている人は、もっと自分の仕事を広く見ると、視界が広がるはず

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)

以下、Kindleの読書メモ。

多くのビジネスが機能の差別化から情緒の差別化へと競争の局面をシフトさせている中 、粗製濫造によって希少性が失われつつあるMBAと 、ごく限られた人しか入学できないMFAとを比較し 、学位としての価値が逆転しつつあることを指摘しています 。

いま 、世界は巨大な 「自己実現欲求の市場 」になりつつあります 。このような市場で戦うためには 、精密なマ ーケティングスキルを用いて論理的に機能的優位性や価格競争力を形成する能力よりも 、人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になります 。
全ての消費ビジネスがファッション化しつつあるということです。ボイスによれば 、私たちは世界という作品の制作に集合的に関わるアーティストの一人であり 、であるからこそ、この世界をどのようにしたいかというビジョンを持って 、毎日の生活を送るべきだと言うのです 。

経営における意思決定のクオリティは 「アート」 「サイエンス」 「クラフト」の三つの要素のバランスと組み合わせ方によって大きく変わる

「非論理的」ではなく 「超論理的」とも言えるような意思決定が行われている

Planをアート型人材が描き 、 Doをクラフト型人材が行い 、 Checkをサイエンス型人材が行う

市場のライフサイクルの変化に伴って 、消費者が求めるベネフィット=便益も変化していくということです 。この便益は 、市場の導入期から成熟期へと至る過程で 、機能的便益 、情緒的便益 、自己実現的便益と変化していくことが、一般的に知られています。

モノの消費というのは機能的便益を手に入れるための交換という側面が弱くなり 、自己実現のための記号の獲得という側面が強くなっていたわけです。

現代社会における消費というのは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得ないということであり 、それはつまり全ての消費されるモノやサ ービスはファッション的側面で競争せざるを得ないということです 。

外観もテクノロジーも簡単にコピーすることが可能ですが 、世界観とストーリーは決してコピーすることができない

過去や未来に意識を奪われることなく、いまの、ただあるがままの状態、例えば自分の身体にどんな反応が起きているか、どのような感情が湧き上がっているかなどの 、この瞬間に自分の内部で起きていることに、深く注意を払うこと

経営における 「真・善・美」の三つの判断について 、これまで長いこと普遍的な基準とされてきた 「論理」 ( = 「真」の判断 )や 「法律」 ( = 「善」の判断 )や 「市場調査」 ( = 「美」の判断 )といった 「客観的な外部のモノサシ」から 、 「真 ・善 ・美」のそれぞれについて 、 「真」については 「直感」 、 「善」については 「倫理 ・道徳」 、 「美」については 「審美感性」という 「主観的な内部のモノサシ」への比重の転換が図られていることを説明しました 。

マツダが狙っているのは 「顧客に好まれるデザイン 」ではなく 、 「顧客を魅了するデザイン 」だと言ってもいいでしょう

デザイン思考では 、顧客の行動や使用現場を徹底的に観察し 、経験価値を設計するというプロセスで商品を開発しますが 、マツダのデザインアプロ ーチはむしろその逆です 。方法論としてどちらが優れているかという問題ではありません 。両者は目指すゴ ールが異なっているんですね 。デザイン思考が目指すのは基本的に 「問題の解決 」です 。手法の名称に 「デザイン 」などと入っているのでややこしいのですが 、 「デザイン思考 」というのは問題解決手法であって 、創造の手法ではありません 。従って 、ゴ ールは 「問題が解決されること 」であって 、そこに感動があるかどうかは問われない 。しかし 、マツダが目指しているゴ ールは異なります 。彼らがこのユニ ークなアプロ ーチの末に追求しているゴ ールは 「感動の提供 」だということです

現代を生きるビジネスパーソンにとって 、 「哲学から得られる学び」には 、大きく3種類あります 。それらは 、 1.コンテンツからの学び 2.プロセスからの学び 3.モ ードからの学び。コンテンツというのは 、その哲学者が主張した内容そのものを意味します 。次にプロセスというのは 、そのコンテンツを生み出すに至った気づきと思考の過程ということです 。そして最後のモードとは 、その哲学者自身の世界や社会への向き合い方や姿勢ということです 。

慶應義塾の塾長として昭和天皇の家庭教師も務めた小泉信三は 、エリ ートが得てして 「すぐに役に立つ知識」ばかりを追い求める傾向があることを指摘し 、 「すぐに役立つ知識はすぐに役立たなくなる」と言って基礎教養の重要性を訴え続けましたが 、哲学の学習についても同じことが言えます 。

真に重要なのは 、その哲学者が生きた時代において支配的だった考え方について 、その哲学者がどのように疑いの目を差し向け 、考えたかというプロセスや態度だからです。

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