広告会社からスタートアップに移籍しての3年の振り返り(前編)

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長くなりすぎたので、前編と後編に分けます。
後編が、本編です(ややこしい)

ただの振り返りの投稿です

新卒で入社し、8年半過ごした博報堂から、2015年1月にまだサービスがローチしていないスタートアップのプレイドに移籍して3年経ったので、振り返りにまとめます。

こういう時に前職の名前を出すかどうか、けっこう迷いどころだけど、エゴサーチすると、自分で出したものじゃなくても当時の会社のプレスリリース等でスタッフリストで載っているので、隠しても無駄な気もするので、とりあえず入れて書いてみます。
そんなに影響力、波及力がないだろうなということも念頭に入れつつ・・

何やってる人なのか

簡単なバックグランドのまとめ

  • 大学時代は、主に東京大学経済学部の野良ゼミ(単位のもらえない有志のゼミ)である片平ゼミにて、ブランド論、ブランドポートフォリオ等について学ぶ。
    • 野良ゼミであるがゆえに、教室が丸ビルのオフィスの一角だったり、丸の内のオフィスビルだったり、大学生ではなかなか経験できない経験させてもらう。
    • 主に経営者視線でのブランディング。丸の内ブランドフォーラムという片平先生が主宰するフォーラムのお手伝いも有志でできたので、そのフォーラムの活動を通じて、 「強いブランドとはなにか?」を、多数の現場の経営者、現場の方とご一緒させていただき、学ばせていただく。
       
  • 卒業後に博報堂入社。(8年半ほど過ごしました)
    • 博報堂では、大手電機メーカー、グローバルITカンパニーを担当し、様々な広告キャンペーンの企画、実施をプロデュース(いわゆる営業職の中の制作営業)。
    • TVCMをはじめ、新聞広告、雑誌広告、アウトドア広告はもちろん、Webコンテンツ/バナー、イベント、戦略PRなど幅広くコミュニケーション領域のアウトプットを制作することを担当。
    • 大学時代に学んでいた数十年単位での長期に渡るブランド育成ではなく、短期のキャンペーンでのブランド、プロダクトのファン形成のための手法、現場を学ぶ。
    • (自分の功績ではなく、たまたまそのチームの一員にいただけだけど)、担当したプロジェクトが、カンヌ広告祭などの国内外の広告賞において多数受賞し、 「一流の人、仕事、アウトプットとはなにか」を体感。
       
  • 2015年1月に、株式会社プレイドへ移籍。ウェブ接客プラットフォーム「KARTE」を開発、運営している会社です。以後、Marketingという肩書のまま3年過ごしたものの、いろいろやってきたので、その振り返り、棚卸し、整理をしたいと思います。

なぜ広告会社からスタートアップに?

会社を辞める事になった理由は、よくある理由で、個人的な話もあるので詳細は割愛します。
会社の事情もよく分かるし、そうすることが会社の判断としては今でも正しいと思うのですが、個人としてはその判断を受け入れることができなかったので、辞めることにしました。なので、どちらかと言えば、個人のワガママですね。

辞めると決めて、会社に伝えたときには次の会社のアテはまったくなく、約3ヶ月近くあった有給を使って次の転職先を決めようと悠長に考えていました。

どこに転職しようとしていたか?

なので、正直なところ、具体的には転職先を決めていませんでした。

一点決めていたのは、せっかくこのタイミングで挑戦するので(当時31歳、最後の挑戦できるタイミングだと思ってた)、同じ広告業界、また宣伝部という対面で接する立場に行くことは、無しにしようという点だけでした。

せっかくなので、キャリアの多様性を広げないと意味ないと思い、広告/宣伝畑からはできれば一度抜けてみたいと考えていました。

大企業ではなくスタートアップが良いなと思っていたところもあり、その理由としては、大学の先輩でVCとして活躍している先輩が何名かいて、彼らのFacebookの投稿から「スタートアップで挑戦する人たち、いいなぁ」と漠然と思っていたことを覚えています。

(具体的には、現在はICCパートナーズ代表として「Industry Co­-Creation(ICC) サミット」を主宰されている小林雅さんやグロービス・キャピタル・パートナーズ パートナー、COOの今野穣さんがたまたま同じサークルの大先輩でした)

当時の転職活動でやったと記憶しているのはこういうことでした。

  1. 小林さんや今野さん、また大学のクラスの後輩でVCをしていた福島くんに投資先の方などを紹介していただき、話を聞かせていただく(今考えると、何もない自分にそのような紹介と話す時間をいただいた方々には感謝しかない・・)
  2. Wantedlyをくまなく見て、気になったとこにはとにかく「話を聞きに行く」ボタンを押して足を運ぶ
  3. BizReachに登録して、連絡いただいた転職エージェントの方から紹介していただいた会社へ面接へ行く
  4. その他、転職サイトへ登録するものの、見るのも大変だなぁという状況だったので放置

それぞれ、どうだったかというと、

  • 1と2は、いろいろな会社の人と話をさせていただき、非常に有益でした。
    • スタートアップとはどういうものか、が現場の方と話を直接できて、なんとなくの肌感が分かりました。
    • 特に初期のスタートアップにとって、自分の持っている広告宣伝関連のスキルは全くと言っていいほど役に立たないと痛感。
    • 先方の求めているものと自分の当時のスキルと不一致だったり、いくつか合わない部分があり、縁がなかったのですが、どこかに縁があれば入れてもらえたら、それはそれで面白かったかもしれないなと思いました。
  • 3は、当時転職エージェントというものを理解していなかったために、お互いにとって全く意味がない活動でした。
    • 何を理解していなかったというと、「エージェントは、転職を決めた人に年収の一定割合をもらうことで報酬としている」ということすら理解していなかったということです。
    • そのため、面談で話したような希望ではなく「一般に有名な大企業」、「宣伝部」といったところへ紹介され、面接時に先方の面接官と「あれ、お互いに希望が明らかに一致しないですよね」と苦笑することもしばしばでした・・
    • 転職エージェントは人次第、と弊社にいる敏腕人事が言っていますが、その情報を4年前に知りたかったという気分です。

そこからなぜプレイドに

当時、プレイドは「KARTE」のローンチを2015年3月に予定している状況で、まだサービスをクローズドβ版でいくつかの企業に試してもらっている状況でした。

そんな中、ちょうどCTO柴山が大学のサッカーサークルの同期だったので、とりあえず会社に遊びに行くという行為を10月にしました。

当時のMessengerを読み返した感じ、「良さそうなスタートアップがないか教えてくれー」な雰囲気で連絡してました。

当時、プロトタイプとしても怪しい?状況だったと思うので、デザインモックのようなもので、サービスについて説明してもらったのですが、まあよくわからなかったものの、今の段階でも実現できていないような先の話もしてくれたので、「なるほど、なんか大きなとこ狙ってるなー」と漠然と思った気がします(正確には忘れた)。

で、そこから、

  • 代表の倉橋も紹介してもらい串カツ田中恵比寿店で話をしたり(当時から串カツ田中推しだったのかと思いだした)
  • ちょうど有給期間だからとボランティアスタッフで参加した2014 IVS Fall KYOTOにプレイドもLaunchPadでプレゼンをして4位に入賞という偶然があったりして
  • 当時IVSにも参加していた坂部氏の2017年12月の流行語の言葉を借りると”モメンタム”を感じて、なんかやれることないっすか、とこちらから相談。

紆余曲折あり、2015年1月からジョインすることになりました。

余談:ちょっとした紆余曲折

当時、プレイドは2014年7月に資金調達をして、メンバーを増やしている段階ではあったものの、既にビジネスサイドのメンバーは数名集まっており、一旦採用を止めている状況、しかも自分はすぐに活かせるスキルもなく、「KARTE」ローンチ時に狙っていたEC界隈の知識もゼロで、プレイドとして積極的に欲しい人材ではなかったのです。

で、当時自分が取った手段が「逆オファー」です。
柴山曰く、「勝手に来た」状態。

友人であるCTO柴山をすっ飛ばして、代表の倉橋と連絡を取り、恵比寿南のカフェで2人で話し、無給もしくはバイトとしてまずやってみるのはどうか?という提案をしました。
(無給といったのは、当時は失業保険でしばらくお金をある程度はもらえるのではないか?と思っていたので提案したのですが、よくよく調べると、失業保険もらいながらも就業の実態があると違法だということがすぐに分かったので、その部分は取り消しました。)

そこまで言われたらということで、最後に柴山も交えてランチを食べて決定となったのですが、その日時が12月24日のようでした。まさかそんな日に3人でランチしてたなんて・・・

そんなこんなで、当時の会社の同期や親しい人には伝えていたものの、最終日には社内の掲示板にも退職者として掲示が出ていて、連絡がちらほら来てたので、こんなメッセージをFacebookに載せました。

【移籍のご報告】
(メールでのご報告ができていない方もいるので、こちらでも。こうゆうの面倒だと思う人いたら、ごめんなさい。先に謝っておきます。)

2006年から在籍していた博報堂と双方の合意のもとで自由契約となり、来期以降の契約を結ばないことになりました。12月31日付けでの契約解除となります。実質今日が最終日です。(行ってないですが)

1月からは、友人のいる10人程のWebサービス系のスタートアップにてまずは練習生として武者修行させてもらう予定です。(※分かる人向け。柴山のとこです。)

サッカーの世界では、練習参加してそこから契約を掴みとるというのはよくある話で、それに倣い双方のためにもその形式にしてもらった次第です。
そのまま正式契約となるか、他のチームに移籍することになるかは自分のパフォーマンス次第なので、年明けから全力で臨みます。決まった際にはまた報告します。

ということで長いので2点にまとめると下記です。
・会社を退職します(しました)
・1月からは社会人インターンみたいな感じで働かせてもらいます

新しい銭湯を起業したり、酒場放浪する人になるのではないかという噂もあったようですが、それはやめておきます。老後の楽しみに取っておこうかと。

理由とかを書きはじめると面倒なので公にするのはやめておきます。興味ある人いたら、コピペで個別に送ります。それか銭湯で話します。

今までお世話になった方で、ご挨拶できていない方すいません。
ただ、今までどおり東京で暮らしているので、これからも変わらずにお付き合いしてもらえればと。

というわけで、本当に当時はただの社会人インターンとして、何も無い状況でプレイドにジョインしました。
練習生から契約を勝ち取り、日本代表まで登りつめたボンバー中澤選手を意識した投稿です。

今となっては、その参加の仕方は良かったなと思います。

  • 過度に周りから期待されない
  • 自分としても気負いすぎない
  • 何者でもない自分というのを再認識できる

という点で、こういう気軽な参加の仕方、オススメですw

後編かつ本編に続く。

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